概要
『日吉神社』は熊本県熊本市南区十禅寺にあり、細川家の産土神(うぶすながみ)として信仰を集めた神社です
アクセス
096-356-0851
駐車場 有り
御由緒(『日吉神社』の由緒板引用)
当社は、近衛天皇の仁平3年(1153)肥後の国司として着任した石浦河内守經國が朝廷に願い出て、近江国(滋賀県)の比叡山の日吉大社の御分霊を勧請し、国家安泰・宝祚(天皇の御在位)延長の勅願所(天皇がご祈願される所)として、また神蔵荘(十禅寺・平田・近見・高江・元三・西牟田・木部・画図・田迎・世安・本山・春竹・琴平などを含む716町五反の地)一円の鎮守として創建した由緒ある神社です
平安時代末の78代二條天皇、鎌倉時代の82代後鳥羽天皇、87代四条天皇、89代後深草天皇、室町時代の101代称光天皇より度々の国家安泰、宝祚延長等の御祈願(勅願)がなされるなど、中世においては肥後国有数の神社として栄えました
その後、豊臣秀吉の時代に肥後の領主佐々成政の暴政により社殿等を焼かれ社領も没収され甚だしく衰徴しますが、後の領主加藤清正公、細川家3代藩主綱利公により社殿も祭典再興され、以後細川家歴代藩主の信仰も厚く、特に6代藩主重賢公の時には細川家の産土神と定められ、重賢公以後は細川家の家督相続、嫡子の安産、誕生等の度に御祈願の使者を遣わされるなど再び御社頭の繁栄を見ました
明治維新の版籍奉還・廃藩置県により藩政が終わり、旧藩主細川氏も東京へ移住され細川家の保護もなくなり、明治以降は、以前ほどの繁栄はなくなりましたが、氏子・崇敬者の厚い信仰に守られ今日に至っております
祭神
大山昨神(おおやまだひ)
大巳貴(おおなむち)
神をはじめ日吉山王社21社の神々
国常立神(くにのとこたちのかみ)
国狭槌尊(くにさつちのみこと)
惶根尊(かしこね の みこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
天之忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
児島神社(少彦名尊(すくなひこなのみこと))
山王稲荷神社 倉稲魂神
境内
鳥居
神猿さん
狛犬さん
手水舎
本殿
厳島神社 山王稲荷神社
兒島(こじま)神社
御朱印
今回御朱印は、お賽銭横に据えてありました(書置き)300円です