(令和1月29日)
概要
『三笠神社』は福岡県大牟田市にあり、島津軍と死闘を繰り広げた戦国武将の高橋紹運公が祀られています
お隣には『熊野神社』があり二社が同一境内にあるめずらしい神社です
アクセス
福岡県大牟田市鳥塚町88
0944-53-0606
駐車場 有り
御由緒(『三笠神社』にある由緒板引用)
高橋紹運公は戦国武将にて、大友氏の一族吉弘氏より出て、高橋の名蹟を継がれ筑前岩屋城・宝満城主として主家大友宗麟に忠節を誓い筑前立花城主、戸次道雪と共に大友家を支え守りぬきました
天正14年夏、九州制圧をかけ北上する島津軍5万の大軍を迎え討った高橋紹運公の手勢は763名、『1日で攻め落とす』と豪語する島津軍と14日間にわたる戦国史上稀に見る激戦となりました(岩屋城の戦い)
紹運公の人柄は『高橋記』に『文武に通じ徳智謀達し、諸人に情深く忠賞も時宜に応じ私欲は無く、古今稀なる名将』と記され、洵に武士の亀鑑たる御方でございました
豊臣秀吉は『乱世に咲く華』と紹運公を称え
長男立花宗茂に柳川藩を次男立花直次に三池藩1万8千石を与えました
立花直次は武勇に優れ、文禄・慶長の役において兄を救出し、剣術に優れ、柳生宗矩の門弟となり、『新陰治源流』を開祖
紹運の妻は二男四女を産み温和な優しい人柄と家中より慕われました
7代藩主立花種周は、若年寄となり幕政に参与しましたが、文化2年(1805年)奥州伊達郡下手渡村(福島県伊達市)移封となり天保6年(1835年)祖先の義烈を顕彰すべく神祇伯に請いて三笠神社が創建されました
明治維新により念願の三池復封となり
明治4年縣社に列せられ
明治16年例祭煙花による火事により
我が国の近代産業は、ここ石炭発祥の三池稲荷村から始まることから三笠神社は郷土の発展とともに武勇の神を祀る神社として広く尊崇されています
祭神
高橋主膳ノ正鎭種(入道して高橋紹運と号す)
天文17年(1548年)生 天生14年(1586年)没
慶長16年没
立花直次(紹運公の次男、高橋統増の名で知られる三池藩祖)
元亀3年(1572年)生 元和3年(1617年)没
境内
鳥居
狛犬さん
手水舎
本殿
御朱印
初穂料は500円~1500円です