(R3.1/31に参拝したときの御朱印 御朱帳)
概要
京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社、また、菅公の霊廟として信仰され、現在、令和の大改修であり2027年まで本殿は仮本殿となります
アクセス
福岡県太宰府市宰府4丁目7-1
駐車場 有料
御由緒
右大臣であった菅原道真公は901年(昌泰4)に左大臣の藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰権帥として左遷され、903年(延喜3)に死去しました
道真公の遺骸を安楽寺に葬ろうと葬送の牛車が寺の門前で動かなくなり、これは、そこに留まりたいのだと道真公の遺志を考え、905年(延喜5)寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号しました
一方都では疫病、異常気象など不吉なことが続き、909年(延喜9)には藤原時平が39歳で死去
これらの出来事を『道真の祟り』と恐れて御霊を鎮めるため、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣の藤原仲平が大宰府に行き、道真公の墓所の上に社殿を造営、919年(延喜19)竣工しました、これが安楽寺天満宮の創祀です
それでも『道真の祟り』は収まらず、923年(延喜23)皇太子 保明親王が死去
朝廷は延長と改元、4月に道真公の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈しました
それでも『祟り』がなくなることはなく、保明親王の遺児慶頼王が変わって皇太子になったものの925年(延長3)死去
930年(延長8)6月、醍醐天皇のもとで会議が清涼殿で開かれたが落雷があり、死傷者がでる事態となり天皇は床に伏せ、皇太子 寛明親王(朱雀天皇)に譲位し死去
931年(承平元)道真公を登用した宇多天皇も死去
わずが30年の間に天皇、皇太子、貴族らが死亡
『怨霊』は鎮まらず、道真公には太政大臣追贈など御霊信仰は頂点になり、ついに990年(正暦元)、本来、天皇、皇族を祀る神社の社号である『天満宮』も併用されます
986年(寛和2)道真公の曾孫 菅原輔正によって鬼すべ神事が始められるようになりました
1004年(寛弘元)一条天皇が初めて北野天満宮に行幸、太宰府に勅使つかわせて以来士庶の崇敬を集め、1097年(承徳元)大江匡房が大宰権帥に任ぜられてから神幸祭など祭祀が行われるようになりました
本殿が再建されたのは、1591年(天正19)安土桃山時代の小早川隆景によるものです
御祭神
菅原道真公
境内
参道
お土産屋さんや梅が枝餅などいろんなお店があり、食べ歩きもでき楽しいですよ
鳥居
狛犬さん
御神牛
頭をなでると知恵を授かるということで御神牛をなでるために行列ができます
麒麟および鷽像
『宝物殿』
如水の井戸
だざいふ遊園地
九州国立博物館への入口
『太鼓橋』『平橋』『太鼓橋』の3つの橋
それぞれ、過去、現在、未来をあらわすそうです
手水舎
楼門
本殿
社務所 お守り
御朱印
初穂料 300円